■呉鑑泉氏の娘、呉英華氏とその婿の馬岳梁氏と沈剛

 時は中華人民共和国となり、50年代公私合営の渦巻きの最中、呉鑑泉氏の娘である呉英華氏と婿の馬岳梁氏は自宅を失い、私の実家がある町内に引っ越してきた。呉英華氏は父親似で、人付合いが上手く、たちまち町内の人気者となり、私の曾祖母とも仲間になった。曾祖母も体を動かす事が大好きだったことから、太極拳の学習を希望し快く承諾された。

 呉英華氏の夫の馬岳梁氏も呉鑑泉氏の内弟子で、同じ満族の人間である。馬岳梁氏の父親は呉鑑泉氏の仲間であり、呉鑑泉氏は娘を馬氏に嫁がせる程、馬岳梁氏の人格に惚れた。 その後、私の父親も半年程呉英華氏に呉家太極拳108式長拳を学び、父の四人の従兄妹も呉英華氏と馬岳梁氏の学生となり、108式長拳を学んだ。

 私は幼い頃から中国文化大革命の影響で上海から離れ、中国江蘇省宜興市で育てられた。 父親はスパイ疑惑で牢屋行きとなり、母と子で母子カプセル状態だった。幼い頃の私は体がとても弱くいつも虐めに遭っていた。田舎の形意拳の武術を暫く学んだが、体が弱い為虐め状態からは解消されなかった。後に陳式太極拳も学んでみたが、跳躍が激し過ぎて爆発力を必要とした為、効果は出なかった。丁度、父の従兄弟が馬氏、呉氏のところでいろいろな技を磨いていると知り、曾祖母に願い二人の先生の学生となった。ただし、両師に会えるのはせめて旧正月と夏休みだけであった為、108式長拳が身に付くのに二年近くもかかった。呉、馬両先生はとても厳しい方で、最初の三年間、呉家108式長拳を三万回程の練習することを要求した。私の学校以外の時間は殆ど太極拳で費やした。

■正式に内弟子となって

 私は二十歳の時に上海へ帰郷し、正式に呉式太極拳の内弟子となり、以降1989年に来日する迄両師に師事した。太極拳家元では年配序列が厳しいものがあって、当時、私の叔母である黄立元氏も馬岳梁氏に弟子入りを希望していた為、馬岳梁師と呉英華師のご意向で私はその五男の馬江麟師にも弟子入りをしております。結果的に私は呉英華師、馬岳梁師そして馬江麟師の二代に渡って沢山の技を教わることになりました。

 呉英華氏、馬岳梁氏は満族で、騎馬民族特有の豪快な性格である為、懸命に学ぶ弟子に対しては隠す事なく全ての技を教え切ることで有名である。私は沢山の太極拳技法を身に付けた。  1983年6月、本呉式太極拳研究会師範である沈剛の家族も文化革命の迫害から解放され、上海へ戻り本格的に両師に師事し、毎朝のように師の家で呉式太極拳、太極剣、太極刀、太極槍などを学んだ。両師の指導は非常に厳しく、108式長拳では一つひとつの動作すべてを太極十三勢により分析する程だった。沈剛は時々、足が振るえる程きつかった。推手は主に馬岳梁師より教わった。馬岳梁師の手が軽く、触るだけで自分の重心をコントロール出来ずにまるでお酒でも飲んだようで不思議だった。ある日、沈剛は馬岳梁師のお腹を推してみたが、まるで綿を推したようで自分の力はたちまち無くなっていた。突然、目の前が真っ黒になり、気付いたらもう7、8メートルの外で尻もちを突いた。若い沈剛は馬岳梁師のパワーに感激し、これは「世界一の武術でしょう」と伺ったところ、馬岳梁師は大変謙遜な人でこのように言った「若い時、呉鑑泉先生は私を触らずに、1メートル近く離れているのに今日の貴方以上に飛ばされていた!義父呉鑑泉先生も当時、どれ程の強い方だが、道教太極拳名師である宋遠橋十七世宋書銘大師に近付くとやはり重心をコントロール出来ずにいた。道教思想の元で出来た太極拳は強くなるという気持ちで練習してはならない。道教から来た太極拳を一生涯味わって欲しい。太極拳は無限である。私もまだまだ最高のレベルに達していないし、まして太極拳は最高レベルはないよ。」

 両師とも太極拳教育に於いては大変厳しいが日常は非常に優しい。沈剛は1983年から1989年迄6年間両師に師事したが、その間授業料を全く受けとらなかった。その理由は:一、我々は国から給料を貰っている。一、貴方は今、収入が少ない。「気持ちは年末年始の時、頂戴したよ!」(年末納会時先生方は会費徴収していない。お正月の挨拶の時はいつもお土産を持参している)一、我々は収入を得る為に太極拳を教えているわけではない。今になってこれらの出来事を思い出すとやはりじんとくるものがある。 またその間、大きな出来事が幾つかあった。香港の映画会社が馬岳梁師の「中定」パワーの撮影を決定した。片足で立つ太極拳の型で「金鸡独立」を6人の男性が両手で攻めるという設定だった。この記録映画は海外でも上映されたが、当時、多くの中国人はこれを虚偽だと批判した。

 その後、「鑑泉太極拳社」の公開活動の際に馬岳梁師が片足での6人攻めの技を披露したが、某有名武術の先生は信じず、自ら試したいと願い出た為、馬岳梁師はそれに応じた。某先生は上がっている馬師の片足をとりひっくり返そうとしたが、馬師は微動だにしなかった。逆に馬師が足を少し上げただけで某先生は10メートル位飛ばされたのである。沈剛もその場にいた。

 沈剛は何回も何回も他の武術専門家が馬岳梁先生に挑発しているのをみた。時折、間に入りなんとか先生なしに片付けてしまおうかという気持ちも起こったが、馬師はすべて一人で解決し、我々には解決することを許さなかった。

 沈剛は、1989年4月に来日し、24年が経った。1993年には帰郷し、両師と会ったが、数年後、呉英華師が90歳で他界し、その数年後には馬岳梁師も98歳で天寿を全うした。

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