「神の国」から「転ぶ」まで

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日本人や暫く日本に住む外人で日本語が通じる人でしたら、この二つの言葉がどなたの口から出たのかはお分かりのはずです。ちなみに、おっしゃったご本人ですが、個人的には結構好きなタイプの方ですね。温厚であまり人とは争わないどこにでもいそうなご年配な日本人の典型的な代表のような存在ですが、しかも、あの方は日本人の政治家の中ではまだ失言の少ない方だと個人的には感じております。

 日本が神の国であることは日本人の皆様や私みたいな嫌になる程日本に住み着いている異邦人の誰でも思うことです。政治家として公の場で神的発言が出来ないことは確かに国としての一種のルールになりますが、政治家が一個人としたら総理大臣もローマ法王にあってきましたね。国とバチカンの関係か一個人としての表敬訪問かは別にして、政治家は国家利益を損なわない前提でのある程度の自由を与えるべきだと個人的に感じています。

 以前も私は「転ぶ」ことを言及しましたが、確かにスポーツ省がない国で政治家にスポーツ選手が一々言われる筋合いはないと思います。だが、確かに転んだのは事実です。もっと強い精神力を鍛えることも必要でしょう。当事者がインタビューであまり「転ぶ」発言を追求しなかったことを知った時の私は、本当にじんとしてきたものがありました。かつて、北京五輪の際中国人の劉翔が負傷で決勝直前に試合を辞めた後は中国国内で彼を長い間に反逆者扱いまでしていて、本人は大変傷ついたことで世界が仰天しましたね。

 日本は政党間で色々なチェックが有って、互いに相手の発言の揚げ足を取ることが有っても、民間ではあまり一時の失言や適切ではない表現を突っ込むことはしないです。特に、職柄でご年配の方とのお付き合いが多く、よく成熟した方に言われる言葉は、「考えすぎないように」であります。これは寛大な民族と精神的に余裕に満ちている人間の行動だと私は感じておりますね。

 でも、最近の日本社会では人様の発言に対して敏感になりはじめていますね。私と同じく多くの方は近年、外国人が沢山が来日してから日本が変わったと感じております。これも、日本自体が一種の変化を求めているのではないかと、仕方がなく認めなければならないことかもしれません。社会と国民の変化は素早く対応を促しています。知らぬ間に変わる対人関係の仕組みは人々に俊敏な反射神経を要求しています。そして、私達はもっと日本語力が試されていると実感しています。

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