旧 太極拳よもやま話 未分類

祝「太極拳よもやま話」一周年?

2013年10月30日

 光陰は矢の如し、四方山話を立ち上げて本日でまる一年になりました。実は呉式太極拳研究会を立ち上げることを決心したのも一年前の本日で御座いました。当然のように暫くの間マーケティングリサーチもいたしましたが、さすがにこの国の9割以上が競技太極拳だと分かった時点では研究会を立ち上げるべきか否かはかなり迷いましたね。わたくしは長い間数人の太極拳先生のご希望があって、主に推手の面倒を見ていましたが、この国で本格的に呉式太極拳長拳に興味があったのがまだ4~5年前の話しでありました。
 勿論、一言呉式と言っても私より遥か前にもう既に日本国で北派の呉式太極拳が存在していましたし、香港派呉式太極拳は連盟迄出来ております。ごく最近で様々なインターネットより呉式太極拳がいつの間にか北派と南派の二つの流派で分かれているとか、北派の太極拳を拝見しているとまるで、違う流派のような太極拳にしか見えないのも事実であります。様々な歴史資料や著書からも先祖の全佑師の太極拳は有名な「全佑老架」であり、現在の楊式太極拳には非常に近いものがありました。現在の呉式太極拳というのが祖先の呉鑑泉氏が若年に宋遠橋17世に弟子入りした後に、道教「三世七太極拳」を楊式太極拳小架に混ぜ入れたものになります。はっきり申し上げますと所々楊式小架が残っているのですが、殆どの動きやステップは道教太極拳に近いです。祖先が呉式太極拳を作った後は長男の呉公儀氏が呉式太極拳を香港へ持っていき、ついには東南アジア諸国にも進出したわけでございます。呉公儀氏が亡くなったのが1970年でした。その二年後には公儀氏の長男も他界しており、香港呉式太極拳は当時、多くの内容を失ってしまったことは事実でございます。前の世紀の1980年代に香港呉式太極拳本部の方が上海にいる馬岳梁、呉英華師を尋ね、剣や槍、刀及び太極拳快架の録画のご希望があり、当時は師馬岳梁、呉英華が応じたのですが、幼い私も世話役の一人でした。香港呉式太極拳というと、呉公儀氏が複雑な呉式太極剣の一路剣(乾坤剣)89式と二路剣(七星剣)54式の重複した部分を削除し、呉式太極剣108式として公けに教えていたことは一般的に知られています。現在も香港ではごく一部の方に間にこの108式剣がまだ密かに練習されていますね。
 話題が急に変わりますが、競技種目の方々がご指摘の「伝統太極拳の型崩れ」というものは確かに存在します。当時の中国ではビデオなんかは国レベルではないとなかなか手に入らないものであり、民間での記録はなかなか出来ませんでした。そして、一人の人間が一生涯を通して同じ太極拳を修練しているわけですが、わたくしも師呉英華の六十代の時の太極拳と八十代の時の太極拳の方が微妙に違っているのがわかりますね。それは競技種目も同じですよ。誰でも、二十代の時の録画と八十代の時の録画を比べれば、例え同じ拳法であっても、実に違う拳法に見えてくるし、人間自体もまるで別人のように見えてくるはずです。
 そして、この一年間の間に私は太極拳の中の「分脚」や「摆莲腿」などの高さに関しても色々と書きましたが、これは簡単に申し上げますと競技種目は「美学的」に優れていますし、その足の高さは私のような人間は絶対に無理ですね。伝統太極拳では一応、腰より高く上げてはならないという原則がありますが、これは実戦的な角度からのものです。実はこの点に関しては太極拳だけではなく、少林や今はやりの詠春拳のような伝統種目に関してもまったく同じです。でも、足の高さに関してはどちらも正解だと思うようになりました。勿論、採点するのであれば、高く蹴ったほうが綺麗ですよ。(続きへ)

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